常若整骨院は実費施術のみを取り扱っており、施術料は決して安いものではありません。
ですから、患者さんの中には
「私は通院したいんですけど、主人がなんて言うか…」
と悩みを抱えてしまう方も。
そんな時は「相談してみてくださいね」とお声をおかけしますが、ちょっと気になるのはその思考法です。
「相談してみてから決めます」ではなく、「なんて言うか…」と、ご主人の否定的な反応を想像し、そうなるに違いないと受け止めてしまっているのです。
それは気遣い?それとも…?
私たちは人と関わる時、相手がどう感じているか、どう思っているかを想像して自分の行動を決めることがあります。
とくにその力が発揮されるのが夫婦・恋人・家族といった間柄。
「あの人が好きって言ってたチョコレート、買っていったら喜ぶだろうな」
「なんだか元気がなさそうだから、今日は遠出はやめて家にいようかな」
「こういう話題、あの人は嫌いだから、あの人の前ではやめておこう」
…などなどの気遣いによって、親しい間柄は円滑にまわりやすくなります。
しかし、こういった気遣いが気遣いでなくなってしまう場合があるのです。
夫婦間や恋人間のストレス源は、妄想力?
「私はこれをしたいけど、夫はきっとダメだとい言うに違いない。だからやめておこう」
こういったことを考えたことはありませんか?
これは気遣いのようでいて気遣いではない、いわばマイナスの妄想です。
問題①<相手そのもの>ではなく、<自分の中にいる架空の相手>を見ている
「私はこれをしたいけど、夫はきっとダメだとい言うに違いない。だからやめておこう」
こう考えている時、この人はまだ旦那さんに相談はしていません。ダメだと言われるに違いない、と想像しているだけです。
実際の旦那さんではなく、自分の中にいる架空の旦那さんからダメだと言われているのです。
つまり、問題なのは旦那さんそのものではなく、自分自身であるということになります。
もちろん、根拠のない想像ではなく、
「今まで夫の行動や好き嫌いにはこういう傾向があったから、そこから計算するとこういう結果が想定できる」
と考えていることがほとんどでしょう。
しかし想像には、知らず知らず自分の価値観が紛れ込みます。
例えば、100円均一でアレコレ買い込む奥さんが、旦那さんに「よくわからないものばかり買って」と言われたことがあったとします。
その時奥さんは「私に自分の好きなものを買うなと言いたいんだ、100円ですら無駄遣いするなと言いたいんだ」と受け止めます。
しかしその時旦那さんが言いたかったのは「安いものの数ばかり増やしてないで、もっと質のいいものを買えばいいのに」ということでした。
その後、ステキなバッグを見つけた時に、奥さんはこう考えます。
「すごく欲しいけど、100円均一で無駄遣いと言われてしまったから、きっとダメだと言われるに違いない。諦めよう」
自分の想像を<旦那さんの意見>と思い込み、こういった判断をしてしまう。
その時味わう辛さは、旦那さんのせいではなく、奥さんの責任なのです。
問題②自分のイライラを、他人のせいにしてしまう
他人によって行動が制限されると、どんな人でもイライラしてしまいますよね。
さらにそれが<想像の中の相手>による制限となると、頻度も影響もグンと跳ね上がります。
「やってみたいけど、きっと許してくれない」
「遊びに行きたいけど、きっと嫌がる」
「本当はAをやりたいけど、きっとBがいいって言うだろうからBにしよう」
こんな思考が刷り込まれてくると、
■自分のイライラを他人(制限をかけてきていると想像する相手)のせいにする
■自分発信ではなく他人基準で動くため、「私は本当にこれをしたかったわけじゃないから」と自分のしたことの結果・責任を受け止められなくなる
といったことが起こり始めます。
自分の人生は自分にしか責任がとれません。
自分が食べたものは、自分でトイレに行って排泄するしかないのと同じです。
「私は本当は鶏肉が食べたかったけど、あの人が私に魚を食べてほしそうにしてたから魚を食べただけで、魚の栄養を吸収したりトイレで出したりしたいわけじゃない!」
というのは、ちょっと滑稽ですよね。
なぜ、こんな妄想にとりつかれてしまうのか
最初はやさしい気遣いだったはずの想像力が、どうしてこんな妄想に変わってしまうのでしょう?
その原因は、①自分の気持ちを察してほしいと思っていること、②コミュニケーションの不足、にあります。
①自分の気持ちを察してほしいと思っていること
人は、自分がしてほしいと望んでいることを相手も望んでいると思いがちです。
「私が率先してやれば、相手もやってくれるに違いない」
こういう思考が働きます。
「私の気持ちを察して欲しい」と思っている人は、相手の気持ちを察して動いてあげようとします。
しかし前述したように、想像の中には自分の価値観が混じってしまいますから、実際の相手の望みとはズレが生じてしまいます。
そのズレが大きくなると「私はこれをしたいけど、夫はきっとダメだとい言うに違いない。だからやめておこう」という先走った結論を出す妄想にとりつかれてしまいます。
②コミュニケーションの不足
「私の気持ちを察してほしい」「相手の気持ちを察して動いてあげよう」と考える人は、言葉でのやりとりをはしょってしまいがちです。
本当に相手が欲しいのは何なのかを直接相手に確認しないまま、「相手はこれが欲しいに違いない」と想像したものを差し出してしまいます。
エスカレートしていくと、相手が「私はAが欲しい」とハッキリ言っているのに「本当はBが欲しいのに、遠慮してAと言っているに違いない」と曲解する場合さえあります。
他者は自分をうつす鏡です。
こういった状態に陥っている人は、
「言葉に出して『Bが欲しい』と言って、拒否されたら悲しい。傷つきたくない」
「わかって貰えなくて傷つくぐらいなら、最初から説得しないでおこう」
という気持ちを抱えています。
そのために直接的な言葉でのやりとりを避け、言い訳のできる察するコミュニケーションに逃げ込み、自分の首を絞めてしまうのです。
望みを口に出す。まずはそこから!
「私はAが欲しい」
「私はBをやってみたい」
まずは、自分自身にそう宣言してみましょう。
あなたの中にいる<想像の中の相手>がそれについて意見を言うかもしれません。
が、それはただの妄想です。過去の誤認×自分の望みが叶わないことへの怯えがミックスされたものです。
あなたが本当にAを欲しい!と妄想を蹴飛ばせたら、今度は現実の相手にも「Aが欲しい」と宣言してみましょう。
ポイントは、相手が理解できるように話すこと。
もしかしたら妄想とは全く真逆の結果が帰ってくるかもしれません。
お電話ありがとうございます、
常若整骨院でございます。