見立てが上手い人ほど、患者さんの話を全部は聞いていない

問診票にびっしり書き込んでくる患者さんがいる。行間まで文字で埋まった一枚。ペンの跡が紙をへこませるほどの筆圧。

こういう問診票を渡されたとき、先生の手は一瞬止まります。全部読もうか、聞き直そうか。時間は限られている。次の患者さんも待っている。

私はこの相談を、見立て塾で何度も受けてきました。企業内で週に何日もマッサージを担当し、デスクワーカーを中心に診ている先生からも、同じ悩みが出てきたことがあります。

一言一句、聞き逃さないようにやっている。それなのに、聞けば聞くほど頭の中が整理できなくなって、患者さんの話に振り回される。終わったあと、どっと疲れが出る。

これは技術の問題ではありません。聞き方の問題です。

問診表に、なぜあんなに書き込んでくる患者さんがいるのか

結論から言います。書き込みの量と、症状の深さは比例しません。

不安が強い患者さんほど、紙を埋めます。伝え漏れがあったら困る、という気持ちがそのまま筆圧と文字量になって出てきます。逆に、本当に根が深い症状を抱えている方ほど、言葉が少ないこともあります。うまく言語化できないくらい、体の中で起きていることが複雑だからです。

だから、書いてある量で優先順位を決めると外します。多く書いてある問診票を見て「これは念入りに全部確認しなければ」と身構えた瞬間、すでに主導権は患者さんの筆圧に握られています。

全部を拾おうとすると、なぜ疲れて振り回されるのか

結論として、聞く側の集中力には限りがあり、すべてを均等に拾おうとすると、大事な一言と、そうでない一言の重みが同じになってしまうからです。

見立て塾で相談を受けたある先生は、以前から「一言一句見逃さないように」と決めて問診に臨んでいました。真面目な先生ほど、この決め方をします。患者さんに失礼があってはいけない、聞き漏らしがあってはいけない、という誠実さの表れです。

ですが、実際にやってみると起きることは逆でした。全部を拾おうとするほど、聞いている自分がどこに注目すればいいのか分からなくなる。患者さんが脱線した話にもつき合ってしまい、時間だけが過ぎていく。終わったころには、聞いた側がぐったりしている。

これは「聞く量が足りない」ことが原因ではありません。「聞く場所を決めていない」ことが原因です。

聞く場所が決まっていないと、患者さんの話す順番に、こちらの意識も引きずられます。患者さんは思いついた順に話すので、その順に真剣に受け取ろうとすると、体の話と暮らしの話と人間関係の話が交互に来て、頭の中が散らかります。散らかった状態のまま施術に入ると、手も迷います。迷った手は、患者さんにも伝わります。

聞き方を変えたら、何が変わったのか

先ほどの先生は、あるとき聞き方を変えました。全部を追いかけるのをやめて、キーポイントだけを押さえる方向に切り替えたのです。

今でも、問診票にA4何枚も書いてくる患者さんはいます。それでも、そこに全部付き合うのではなく、要点だけを一瞬で抑えるようにしたと言います。

結果として、聞き取りにかかる負担が減り、患者さんの話に振り回される感覚もなくなりました。もともとこの先生には、患者さんの状態を察知する力が十分にありました。足りなかったのは、聞く力ではなく、聞かないと決める力だったのです。

「先引き」とは、具体的に何をすることなのか

結論を言うと、先引きとは、患者さんが話し終わるのを待つ前に、要点をこちらから絞り込みにいく聞き方です。

全部を受け取ってから整理するのではなく、聞きながら「これは根っこに近い話か、そうでないか」を仕分けていきます。仕分けの基準はシンプルです。

体の状態が劇的に変わった時期はいつか。何がきっかけでその変化が起きたか。今も繰り返し口にしている言葉は何か。この三つに関わる話は拾います。それ以外の、世間話や枝葉の説明は、深追いしません。

はじめのうちは、これを聞き逃しではないかと不安になります。ですが、大事な話をしている患者さんは、たいてい同じ言葉や同じ場面を何度も繰り返します。一度で拾えなくても、二度目、三度目で拾えます。全部を一回で拾おうとする緊張こそが、聞く力を鈍らせています。

先引きができるようになると、初回の問診だけでなく、二回目以降の会話も変わります。「前回よりどうですか」という一言に対して、患者さんが長く話し始めても、こちらは繰り返しの言葉が出てくるまで、静かに聞き流すことができます。焦って全部の感想を拾い直す必要がなくなるので、施術に使える時間そのものが増えます。

どこを聞けば、本質にたどり着けるのか

結論は、心の状態、感情、体、体の構造、そして生活や人間関係という社会的な背景を、順番に通していくことです。

肩や腰の症状だけを聞いていると、答えが出ないことがあります。肩こりや腰痛は、ストレスからも、食べ物からも、姿勢からも起こり得るからです。原因がありすぎて絞れない、という悩みは、聞く範囲が体の表面だけに偏っているときに起きます。

心の状態や感情の動き、生活背景まで含めて聞くと、なぜか同じ言葉を繰り返す患者さんに気づきます。いつも疲れたと言う。いつも誰かのせいにする。いつも自分を責める。この繰り返しの言葉こそが、体の反応とつながっている入り口です。

範囲を広げているのに、聞く時間はむしろ短くなります。全部の症状を追いかけるのではなく、繰り返される一言を追いかけるからです。

肩や腰の痛みそのものを何度説明されても、そこだけを深追いしないでください。痛みの場所は結果であって、原因の入り口ではないことがほとんどです。かわりに、痛みが強くなる時間帯や、痛みを話すときの表情、家族や仕事の話が出てきたときの声のトーンの変化を拾います。ここに、体の構造だけでは見えない層が出てきます。

迷ったときは、深く聞くべきではないのか

結論から言うと、聞く深さを増やすべき場面と、削るべき場面は別です。

以前、家族三人を同じ手順で診て、一人だけ結果が変わらないという相談を受けたことがあります。あのケースでは、問診をもっと深く聞く必要がありました。家族の中で一人だけ変わらないのは、なぜなのかで詳しく書いていますが、変わらない人には、聞けていない致命的な一言が隠れていることが多いからです。

今回の話は逆です。すでに十分な情報が出ているのに、それを全部同じ重さで扱おうとして、聞く側が疲れているケースです。

見分け方は簡単です。聞いたあとに自分が疲れているか、それとも患者さんの状態が見えてきた手応えがあるか。疲れだけが残っているなら、聞く場所を絞る番です。手応えがまだないなら、もう少し踏み込む番です。

聞き方を変えても、危険なサインは見逃してはいけない

これだけは、引き算の対象にしません。急に力が入らなくなった、これまでにない激しい痛みがある、理由の分からない急な体重の減少がある。こうした話が出てきたときは、聞く量を削らず、すぐに医療機関の受診を勧めてください。

見立ての引き算は、聞く量を減らして楽をするための技術ではありません。本当に大事な話に、限られた集中力を全部使うための技術です。危険なサインを引き算の対象にしてしまっては、本末転倒になります。

引き算と、見逃しは違います。引き算は、聞いた情報の中から重みの軽いものを外していく作業です。見逃しは、そもそも情報として受け取らずに流してしまうことです。危険なサインは、量が多い少ないに関わらず、必ず受け取る側の情報として残しておく。ここだけは、聞き方をどれだけ引き算しても変えてはいけない部分です。

問診に必要なのは、足し算ではなく引き算だ

冒頭の問診票の話に戻ります。びっしり書き込まれた文字を前に手が止まったとき、必要なのは全部を読み切る根気ではありません。どこを読まないかを決める勇気です。

患者さんの話を一言一句拾おうとするほど、聞く側は疲れ、患者さんの話に振り回されます。心の状態、感情、体、構造、生活背景という順番で、繰り返し出てくる一言だけを拾う。それだけで、聞き取りにかかる負担は減り、見立ての精度はむしろ上がります。

聞く力がないのではありません。聞かないと決める力が、まだ育っていないだけです。

よくある質問

問診で聞き漏らしがあるのが怖くて、つい全部聞いてしまいます。どうすればいいですか?

聞き漏らしを恐れるほど、拾う範囲が広がって疲れが増えます。大事な話は患者さんが繰り返すので、一度で拾えなくても後で拾えると考えてください。

先引きをすると、患者さんに冷たい印象を与えませんか?

話を遮るわけではありません。相づちは打ちながら、頭の中で要点だけを仕分ける作業です。患者さんの体感としては、話をよく聞いてくれる先生のままです。

何を聞けば「根っこ」にたどり着けますか?

体の状態が劇的に変わった時期、そのきっかけ、そして患者さんが繰り返し口にする言葉の三つです。ここに関わる話を優先してください。

問診票に何も書いてこない患者さんは、情報が少ないということですか?

そうとは限りません。言語化が苦手なだけで、根が深い症状を抱えていることもあります。書いてある量ではなく、繰り返す言葉で判断してください。

全部聞かないことで、大事な情報を落としてしまうのではないですか?

はじめのうちは誰でも不安になります。落としているのではなく、優先順位をつけているだけだと考えてください。緊急のサインだけは例外として、常に拾ってください。

経験が浅くても、聞く場所を絞ることはできますか?

できます。聞く場所を決めるのに必要なのは経験の長さより、心・感情・体・構造・生活背景という順番を意識することです。順番があれば、経験は後からついてきます。

家族を診ていて一人だけ変わらないときも、聞く量を減らすべきですか?

いいえ、そこは逆です。変わらない相手には、まだ聞けていない一言が残っていることが多いので、むしろ深く聞く場面です。

聞く量を減らしたら、患者さんとの信頼関係が薄くなりませんか?

むしろ逆です。的確な一言を拾って返せる先生の方が、患者さんからは「分かってもらえた」と感じてもらえます。話の量ではなく、拾った言葉の質が信頼をつくります。

この記事は、施術者・整体師・鍼灸師・柔道整復師の方に向けて書いています。体の症状でお悩みの方は、医療機関の受診をおすすめします。

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