東洋医学における気と変形性膝関節症の関係
1. 東洋医学における「気」の基本概念
東洋医学において「気(き)」とは、生命活動の根源となるエネルギーであり、生体のあらゆる生理機能を維持する原動力です。気は常に流動し、体内を循環することで健康を保っています。この気の流れが滞ったり、不足したり、過剰になったりすると、様々な不調や疾患が生じると考えられています。
気には主に以下のような働きがあります:
- 推動作用:体内の物質やエネルギーを動かす力
- 温煦作用:体を温める作用
- 防御作用:外邪(がいじゃ・外部からの悪影響)から体を守る
- 固摂作用:体の組織や器官を適切な位置に保持する
- 気化作用:体内の水分代謝を調節する
変形性膝関節症の場合、特に気の推動作用と固摂作用の乱れが関連しています。推動作用が低下すると膝周辺の血液循環が悪くなり、栄養供給が不足して軟骨の変性が促進されます。また、固摂作用が低下すると膝関節の安定性が損なわれ、関節の変形が進行しやすくなります。
2. 膝周辺の経絡と気の流れ
東洋医学では、気は「経絡(けいらく)」と呼ばれる特定の通路を通って全身を巡ると考えられています。膝関節には特に重要な6つの経絡が通っており、それぞれが膝の特定部位と関連しています:
1) 足の少陰腎経(あしのしょういんじんけい)
- 走行: 足の内側から上行し、膝の内側を通って大腿部へと続く
- 関連臓腑: 腎臓
- 関連症状: 膝の内側の痛み、膝下の冷え、脚部の脱力感
- 重要な膝周辺のツボ: 陰谷(いんこく)、太渓(たいけい)
腎経は「先天の気」を司り、骨や髄と深い関わりがあります。東洋医学では「腎は骨を主る」と言われ、膝関節症と腎気の不足は密接な関係があると考えられています。高齢になるほど腎の気が衰えることから、変形性膝関節症が高齢者に多い理由の一つとされています。
2) 足の太陰脾経(あしのたいいんひけい)
- 走行: 足の内側から上行し、膝内側を経て大腿部内側へと続く
- 関連臓腑: 脾臓
- 関連症状: 膝の内側の痛みと腫れ、重だるさ、水分代謝の乱れ
- 重要な膝周辺のツボ: 陰陵泉(いんりょうせん)、血海(けっかい)
脾経は「後天の気」を生み出す源とされ、栄養の吸収と水分代謝に関わります。膝関節に水が溜まるような症状は、脾の機能低下と関連していると考えられます。
3) 足の厥陰肝経(あしのけついんかんけい)
- 走行: 足の内側から上行し、膝の内側を通過
- 関連臓腑: 肝臓
- 関連症状: 膝の柔軟性低下、こわばり、筋肉の緊張
- 重要な膝周辺のツボ: 曲泉(きょくせん)、太衝(たいしょう)
肝経は「血」を蔵し、筋肉や腱の栄養を司ります。「肝は筋を主る」と言われ、筋肉の柔軟性や腱の強度に影響します。変形性膝関節症で見られる筋肉の緊張やこわばりは、肝の気の滞りと関連していることがあります。
4) 足の陽明胃経(あしのようめいいけい)
- 走行: 顔面から下行し、胸部、腹部を経て膝の外側前面を通り足部へ
- 関連臓腑: 胃
- 関連症状: 膝の前面の痛み、膝蓋骨周囲の不快感
- 重要な膝周辺のツボ: 足三里(あしさんり)、犢鼻(とくび)、梁丘(りょうきゅう)
胃経は「気血生化の源」とされ、全身のエネルギー供給に関わります。足三里は特に「胃の気」を巡らせるために重要なツボで、膝関節症の治療でよく用いられます。
5) 足の太陽膀胱経(あしのたいようぼうこうけい)
- 走行: 頭部から背部、臀部を下行し、膝の後面を通って足部へ
- 関連臓腑: 膀胱
- 関連症状: 膝後面の痛み、膝の伸展困難
- 重要な膝周辺のツボ: 委中(いちゅう)、承筋(しょうきん)
膀胱経は体内最長の経絡で、背部の筋肉や全身の「陽気」の流れに関わります。膝後面の痛みや可動域制限は、膀胱経の気の流れの滞りと関連していることがあります。
6) 足の少陽胆経(あしのしょうようたんけい)
- 走行: 頭部から側胸部を下行し、膝の外側を通って足部へ
- 関連臓腑: 胆嚢
- 関連症状: 膝の外側の痛み、不安定感
- 重要な膝周辺のツボ: 陽陵泉(ようりょうせん)、光明(こうめい)
胆経は筋膜や腱膜の滑らかさに関わり、関節の安定性に影響します。膝の外側部分の痛みは、胆経の気の流れの乱れを示していることがあります。
3. 変形性膝関節症と気の流れの関係性
東洋医学では、変形性膝関節症を「痺証(ひしょう)」の一種として捉えます。痺とは「閉塞して通じない」という意味で、経絡の気血の流れが滞ることで痛みや機能障害が生じる状態を指します。
変形性膝関節症における気の流れの異常には、主に以下のパターンがあります:
1) 気滞血瘀(きたいけつお)
気の流れが滞り(気滞)、その結果として血液の循環も阻害される(血瘀)状態です。膝周辺の経絡の流れが滞ることで、局所の栄養供給が不足し、軟骨の変性や炎症が促進されます。
主な症状:
- 膝の痛みが一定の場所に固定している
- 痛みが刺すような、あるいは鋭い性質を持つ
- 触ると痛みが強まる
- 運動で一時的に改善することがある
- 膝の腫れが硬く、押しても戻りにくい
2) 気血両虚(きけつりょうきょ)
気と血が共に不足している状態です。気血は互いに依存し合う関係にあり、気が血を生み出し、血が気を養うとされています。長期間の疾患や老化により、気血両方が不足すると、膝の組織の栄養が不十分になり、関節の退行性変化が進行します。
主な症状:
- 慢性的な膝の痛みと倦怠感
- 力が入らない、支えられない感覚
- 膝が冷えやすい
- 顔色が悪く、めまいや動悸を伴うことがある
- 長時間の立位や歩行で症状が悪化する
3) 風寒湿邪(ふうかんしつじゃ)による気滞
外部環境からの「風」「寒」「湿」といった邪気が体内に侵入し、経絡の流れを阻害する状態です。特に湿邪は重濁な性質を持ち、経絡の流れを停滞させやすいとされています。
主な症状:
- 膝の腫れと重だるさ
- 天候の変化(特に雨や湿気)で症状が悪化する
- 温めると症状が和らぐ
- 冷えると症状が悪化する
- 膝の動きがスムーズでなく、こわばりを感じる
4) 腎陽虚(じんようきょ)
腎の「陽気」が不足している状態です。腎は人体の根本的なエネルギーである「先天の気」を司り、特に骨や関節の健康と密接に関わっています。腎陽が虚すると、膝を温め、支える力が弱まります。
主な症状:
- 膝が特に冷えやすい
- 腰や膝がだるく、力が入らない
- 尿量が多く、夜間に頻尿がある
- 全身の冷え、特に下半身の冷え
- 朝方に症状が悪化する傾向がある
4. 気の滞りや不足が膝関節症に与える影響
気の異常が変形性膝関節症に及ぼす影響は、以下のような機序で説明されます:
1) 局所の血液循環の低下
気は血を推動する役割を担っています。気の流れが滞ると、膝周辺の血液循環が悪化し、以下の影響が生じます:
- 軟骨への栄養供給が不足し、軟骨の変性が加速する
- 老廃物の排出が滞り、炎症物質が蓄積して痛みが増強する
- 周囲組織の弾力性や潤滑性が低下し、関節の摩擦が増加する
2) 防御機能の低下
気には体を外邪から守る防御作用があります。気の不足は以下のような影響をもたらします:
- 風、寒、湿などの外邪が侵入しやすくなる
- 特に寒邪と湿邪が膝関節に停滞しやすくなる
- 外邪の侵入により、さらに経絡の流れが阻害される
3) 固摂作用の低下
気には体の組織を適切な位置に保持する働きがあります。気の固摂作用が低下すると:
- 膝関節の不安定性が増す
- 筋肉や靭帯の緊張度が不適切になる
- 膝の水がたまりやすくなる(水湿の停滞)
4) 腎気の不足と骨の脆弱化
東洋医学では「腎は骨を主る」と言われ、腎の気が骨の健康を支えています。腎気の不足は:
- 骨の栄養不足を引き起こし、骨の質が低下する
- 骨棘(こつきょく)の形成を促進する可能性がある
- 関節液の質と量に影響し、潤滑機能が低下する
5. 気の流れを改善する東洋医学的アプローチ
変形性膝関節症の治療において、東洋医学では気の流れを改善することを基本方針とします。主なアプローチ法には以下のものがあります:
1) 鍼灸療法
鍼灸治療は、特定のツボ(経穴)を刺激することで、気の流れを整え、痛みや炎症を和らげます:
主な治療効果:
- 気血の循環改善
- 経絡の通導(つうどう:通りをよくすること)
- 外邪の排出
- 腎気・肝血の補充
- 膝周辺の筋肉の緊張緩和
変形性膝関節症によく用いられるツボ:
- 足三里(あしさんり):胃経上にあり、全身の気を補い、下肢の痛みを和らげる
- 陽陵泉(ようりょうせん):胆経上にあり、膝の外側の痛みや腫れに効果的
- 陰陵泉(いんりょうせん):脾経上にあり、膝の水腫や内側の痛みに有効
- 血海(けっかい):血を補い、循環を促進するツボ
- 曲泉(きょくせん):肝経上にあり、膝の柔軟性を高める
- 委中(いちゅう):膝の後方痛に効果的
- 内膝眼(ないしつがん)・外膝眼(がいしつがん):膝関節の局所の痛みに直接働きかける
2) 漢方薬治療
漢方薬は、複数の生薬を組み合わせて、気血の流れを整え、体質を改善します:
気滞血瘀型の処方:
- 疎経活血湯(そけいかっけつとう):経絡の流れを改善し、気血の循環を促進。筋肉や関節の痛みに用いられる
- 桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん):血の巡りを良くし、痛みや腫れを和らげる
- 当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん):血を補いながら水の代謝を改善する
腎陽虚型の処方:
- 八味地黄丸(はちみじおうがん):腎の陰陽両方を補う基本処方
- 牛車腎気丸(ごしゃじんきがん):腰膝の冷えや痛み、脚のだるさに効果的
気血両虚型の処方:
- 十全大補湯(じゅうぜんたいほとう):気血を大きく補う
- 大防風湯(だいぼうふうとう):四肢倦怠、筋力低下した気虚血虚を伴う冷え症傾向の方に適する
風寒湿邪型の処方:
- 越婢加朮湯(えっぴかじゅつとう):湿邪を除き、痛みを和らげる
- 防已黄耆湯(ぼういおうぎとう):水湿を除き、気を補う。膝に水が溜まるタイプに有効
3) 推拿(すいな)・経絡マッサージ
手技療法は、直接的に筋肉の緊張を緩和し、経絡の流れを改善します:
- 経筋療法:筋肉の走行に沿ったマッサージで、筋肉の緊張を緩和
- 経絡按摩:経絡の流れに沿ったマッサージで、気血の循環を促進
- 指圧:特定のツボを押圧し、経絡の通導を促す
- 擦法:皮膚表面を摩擦し、局所の血行を改善する
4) 養生法・セルフケア
日常生活における気の流れを整えるための実践方法:
- 太極拳(たいきょくけん):ゆっくりとした動きで経絡を通し、全身の気の流れを整える
- 気功(きこう):呼吸と意識の集中により、気を巡らせる
- 経絡ストレッチ:特定の経絡の流れに沿ったストレッチで、気血の流れを改善
- 食養生:体質に合わせた食事で、気血を補い、気の巡りを良くする
- 膝のセルフマッサージ:特定のツボを自分で刺激し、日常的に気の流れを整える
6. 変形性膝関節症の東洋医学的診断と治療の流れ
1) 診断の流れ
東洋医学では「望聞問切(ぼうぶんもんしゃつ)」と呼ばれる四診を用いて、患者の状態を総合的に把握します:
- 望診:患者の体形、顔色、舌の状態、膝の形状や色などを観察
- 聞診:声の調子、呼吸音、膝の音(関節音)などを聞く
- 問診:痛みの性質、発症時期、悪化・軽快する要因、全身症状などを詳しく尋ねる
- 切診:脈の状態、膝周辺の温度や圧痛、経絡上の反応点などを触診で確認
これらの診察を総合して、以下のような証(しょう:症状の本質的なパターン)を判断します:
- 気滞血瘀証
- 気血両虚証
- 腎陽虚証
- 風寒湿痺証
- これらの複合型
2) 治療の基本原則
診断された証に基づき、以下の原則で治療を行います:
- 通則不痛:気血の流れを良くして痛みを取る
- 温則不痛:寒邪を除き、温めることで痛みを緩和する
- 補気養血:気と血を補い、全身の活力を高める
- 健脾利湿:脾の機能を高め、余分な水湿を排出する
- 補腎強骨:腎の機能を補い、骨や関節の健康を維持する
3) 症例に基づく治療アプローチの例
症例1:気滞血瘀タイプの変形性膝関節症
70歳女性、右膝に鋭い痛みがあり、特定の場所(内側)に固定している。痛みは夕方から夜にかけて悪化し、膝を温めると少し楽になる。舌は暗赤色で、瘀斑(うはん:紫色の斑点)があり、脈は弦渋。
治療アプローチ:
- 鍼灸:陽陵泉、足三里、血海、曲泉などの経穴に刺鍼し、温灸を行う
- 漢方:疎経活血湯または桂枝茯苓丸を処方
- 生活指導:適度な活動と休息のバランス、膝を温める習慣、気の巡りを促す食品(生姜、ねぎなど)の摂取
症例2:腎陽虚タイプの変形性膝関節症
75歳男性、両膝に冷えと痛みがあり、特に朝方に症状が強い。立ち上がりや歩き始めが辛く、膝に力が入りにくい。腰痛も伴い、夜間頻尿がある。舌は淡白胖大、脈は沈細。
治療アプローチ:
- 鍼灸:関元、命門などの腎を補うツボと、足三里、陰陵泉など局所の経穴に温灸を中心に行う
- 漢方:八味地黄丸または牛車腎気丸を処方
- 生活指導:膝と腰を温める、過労を避ける、腎を補う食品(黒豆、クルミなど)を積極的に摂る
7. まとめ:東洋医学における気の視点からの膝関節症治療の意義
東洋医学において、変形性膝関節症は単なる関節の物理的な磨耗ではなく、体全体の気の流れの乱れや体質的な問題の表れとして捉えられています。気の流れを整えることで、以下のような包括的な効果が期待できます:
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痛みの緩和:気血の流れが改善することで、痛みの原因となる炎症物質や老廃物が排出され、痛覚神経の過敏性が低下する
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軟骨の保護:栄養供給が良くなることで、残存する軟骨の変性速度が遅くなる可能性がある
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関節の安定性の向上:周囲の筋肉や靭帯の状態が改善し、関節の支持力が増す
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全身状態の改善:気血の流れが全身的に整うことで、免疫機能や自然治癒力が高まる
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予防的効果:定期的な気の流れの調整は、症状の悪化予防につながる
東洋医学の「気」の概念に基づく治療アプローチは、現代医学の対症療法を補完し、より全人的な視点から変形性膝関節症に対処する道を提供します。患者の体質や症状の特徴に応じた個別化された治療が可能であり、薬物療法や手術などと併用することで、より良い治療成果が期待できるでしょう。
「気」の流れを整えることは、単に膝の痛みを和らげるだけでなく、体全体のバランスを取り戻し、生活の質を向上させる総合的なアプローチとして価値があると言えます。