教師・保育士・ボランティア…<聖職者仮面>の下で起こること
常若整骨院へ来院される方には、学校や幼稚園の先生、お医者さん、看護師さんなど、ひとに教えたり導いたりといったお仕事をされている人もいらっしゃいます。
そういった方に多いのが、肝臓や胆のう、目の不調。
そして、家庭内の不和です。
何もない家庭などありはしませんが、いわゆる<聖職者>と呼ばれる仕事についている方ほど、こういった面で悩むことが多いのです。
実例:Aさん(40代女性)
不眠と日中の眠気・目の違和感で来院されたAさん。
保育園の先生をされているそうで、仕事・育児などの場面ではやりきれるけれど、一人になると起き上がれないほど疲れを感じるそう。
お話をきいてみると、お子さんのことで旦那さんと意見が合わず、ここ数年は「喧嘩をするのもイヤ」な状況だそうでした。
お体をみていくと、頭が重くて疲れ切っており、心臓と肝臓、腎臓にかなり負担がかかっていました。
そこで旦那さんに関するストレス・心臓・肝臓を調整していきました。
施術後は目がパッチリとして体に力が入りやすくなり、体幹のバランスも整いました。
聖職者の役を続けると、現れる不調
人にはさまざまな性格・長所短所・ご機嫌不機嫌がありますよね。
それはあって当たり前のデコボコであり、他人と同じところと違うところを見比べながら「自分はどんな形をした生き物なのか」「どんなことが好きでどんなことが嫌いなのか」を知っていきます。
しかし、教師・保育士・警察官・医者・看護師といった「聖職者」の役割を求められがちな人たちは、自分のデコボコや不機嫌や短所を隠し、周囲や自分が「人はこうあらねばならない」と考えた仮面をかぶることになりがちです。
そうすると、押し込められたデコボコやイライラ、怒り、悲しみといった部分が、本人の思いもよらない形で吹き出てきてしまうのです。
①外では聖職者だけど、家庭崩壊状態
東洋医学には陰陽学説という考え方があります。
たとえば男と女、天と地、太陽と月のように、すべてのものには陰と陽があります。
この陰陽はかならずバランスをとるようになっており、陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となります。
聖職者の仮面をかぶることは、いわば陽が極まった状態。
体裁を重視し「こうあらねばならない」を採用し続けると、本当はそうできない部分・悲しみ・怒り・弱さなどが出口を求めて外に噴き出します。
最も多いのは、夫婦間の不和、DV、子どもへの虐待など、家庭内の問題。
こういった問題を起こしたり抱えることで陰の要素を増やし、<聖職者>という極端な役柄とのバランスをとろうとするのです。
また、家族全体が体裁を気にする状況や職業にある場合、家庭内で最も弱い人(年齢・体質など)に鬱やパニックといった精神疾患が発症することで、陰陽のバランスをとる場合もあります。
②「こうあらねばならない」によって肝臓・胆のう・目を焼かれる
東洋医学には、陰陽論のほかに五行学説というものもあります。
すべての物は木・火・土・金・水のいずれかの要素に分けることができ、それは感情や内臓といった人体にも適用されます。
「こうあらねばならない」「怒り」「義憤」「義務感」
こういった体裁にまつわる感情は<木>にあたります。
対して人体の中で<木>に分類されるのは、
■肝臓
■胆のう
■目
■爪
■筋肉
などです。
「こうあらねばならない」という想いが強すぎると、こういった場所に不調が現れます。
常若整骨院へ来院される教職員の方には、胆石や肝機能の数値が良くない場合が多い傾向がありますが、それも<木>の感情に振り回されがちだからかもしれません。
脱・聖職者仮面!体裁よりも自分らしさを優先する方法
それでは、家庭内のゴタゴタや体調不良を引き起こしてしまう体裁優先の状態を、どうやって変えていけばいいのでしょうか。
まずは自分が仮面をかぶっていることに気づく事。
そして、仮面の下にある自分の本心をくみ取ってあげることです。
①自分が体裁重視の聖職者仮面だと気付く
体裁を重視している人、聖職者仮面を被っている人は、不都合な部分を見る事や認める事が苦手です。
ですからただ単に「あなたはいい人のふりをしていますよ」と言われても、自分では「そんなことはない」「自分の長所短所はわかっている」と拒絶してしまいがち。
そんな時に役に立つのが、環境や体調の問題です。
自分が自分らしく、溜め込むことなく生きている時、人は健康ですし色んな事がうまくいきます。
自分らしさを押し殺し、感情を溜め込んでいる時、人は色々な不調や災難に見舞われます。
■「自分のダメな部分を人に見せないようにする」ことを基準に、言動を選んでいる
■最近家の中の空気が悪い
■家族と本音で話せていない
■家に帰らず仕事やボランティアに打ち込んでいたい
■仕事上の問題があり、家になかなか帰れなかったり、後回しになりがち
■自分は悪くないのに相手のせいで迷惑をこうむる、と感じることが多い
■背中の痛みや目の痛み、疲れ目などがある
■胆のうや肝臓がおもわしくない
こんな兆候がみられるなら、聖職者仮面を被っている可能性があります。そのことに気づき、脱ぎ捨てて、自分らしさを取り戻すチャンスです。
②自由に感情を表現する場所を確保する
「こうあらねばならない」と自分を律すること自体は、決して悪いことではありません。
問題なのは「こうあらねばならない」からはみ出た部分=不安・恐れ・怒り・悲しみなどの負の感情が押し殺されてしまうこと。
押し殺したつもりの感情や性格ですが、決して消えるわけではありません。
顕在意識から潜在意識下に追いやられ、蓄積され、身体や環境を使って噴き出すだけなのです。
そうならないためには、感情を自由に表現する場所を作る事です。
■日記をつける(あらゆる泣き言や罵詈雑言を書きなぐるつもりで!カギをつけたり、書いたページをすぐに破って捨ててもOK)
■泣ける映画、笑える番組、ホラー映画など、押し殺している感情を刺激してくれる作品に触れる
■ジムやランニング、カラオケなどで身体を使って発散する
■日光浴をする(とくにおへそ周りを重点的に)
■自然のたくさんある場所、自分をちっぽけに感じられる場所に行く(ここで自分がどんなに泣きわめいても自然は動じない、と思えると、感情を解放しやすくなります)
最初はちょっとずつ、欲望優先にしてみませんか?
体裁=聖職者の仮面を被り続けていると、自分が自分のままでいてはいけないんだと感じるようになります。
すると、自分らしく感情表現をする人たち(子どもやのびのびしている人)に対して「そんなことではダメだ」「もっと我慢しろ」「普通はそんなことをしない」と言いたがるようになります。
「私がこんなに我慢してるのに、あなたがそんなに自由にしてるのはずるい、許せない!あなたも我慢してよ!」
…こんな心の叫びが聞こえてくるようです。
そしてその裏には、
「もっと自由に生きたい、我慢なんかしないで自分らしくしていたい」
という押し殺された欲望があります。
常若整骨院では、今日もその声をサポートしています。
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